六道輪廻 [スピリチュアルトーク集]
先週は反省行してきて、日曜日はスピリチュアルセミナーを開催しました。なかなか良い感じだったかなと思います。皆さんは来週ぐらいからお盆休み夏休みといったところでしょうか。
というわけで、今日はお盆にちなんで仏教話してみます。
六道輪廻(ろくどうりんね)という言葉、あまり耳にしないとは思いますが、諸説いろいろありますが霊的な世界がわかる立場から簡単に説明しますと、欲や煩悩などに苛まれて同じことを何度生まれ変わっても繰り返すことをいいます。
例えば恋愛なんかでも、時代や国が変わっても、魂としての傾向性が変わらないために、同じような相手と同じような理由でつまずいて、なかなか成長できず過去にこだわりながら生きている人とか、仕事なんかでもついつい競争していく中で、他人に厳しくなりすぎて、愛の心が失せてしまう人とか、家庭などで次から次へと降りかかる苦労に心奪われ、何で自分ばかりが・・・というような卑屈な心になってしまう人とか、誰にもある一定の失敗パターンというものから逃れられないことがよくあります。
日々のセッションの中でも感じることで、なかなか六道から逃れられないで苦しんでいる方が多々います。きつい言い方をしますと六道を輪廻するということは、魂的に進歩していないということになります。
この世は魂の学校みたいなもので、幼稚園から大学、社会人と一歩一歩魂の階梯を昇っていくのが本来望ましいことですが、永い転生の中で一時六道をぐるぐるしてしまうような時があるわけです。
先の例でいえば肉体欲的な恋愛観から逃れられなければ色情界に心は通じます。出世競争の中で阿修羅のごとくなっていけば、心は既に阿修羅界にあります。あるいは、卑屈さが強すぎるとその心は畜生道(畜生界)に通じていくのです。もし、そのままの状態で亡くなったらそのままその世界に還っていくことを意味します。
ですから、ポイントは知性、理性、悟性です。煩悩や肉体からくる欲や苦しみに負けないことです。人間が動物と違うことは、反省できることです。(一部の人間になろうと努力している高等動物は別ですが)人の魂は本来肉体的本能はありません。それがこの世に生まれて来て肉体に宿ることによって、本来霊である自覚が失われ、肉体人間としての自分本位な感覚に陥ってしまうのです。
その感覚から立ち直る作法が反省です。反省によって魂本来の霊性を取り戻すことができるわけです。その霊性を失わずにこの世において魂修行を終えていけば、天上界に還っていけます。少なくとも天国といわれる世界に還っていくことができるのです。
そして、それが人間の魂にとって最大の幸福でもあります。鼻に人参ぶら下げるような発想ではいけませんが、魂としの尊厳として、しっかりとこの世でもって魂磨きをして、本来居た世界より少しでも進歩した世界へと戻っていきたいものです。
肉体的本能に支配された六道輪廻から、霊性を失わずに利他の思いで満ちた知的な輪廻へと脱皮していきたいものです。そのために大事なことは、感情のコントロールです。六大煩悩といわれている貪欲、瞋恚、智慧のない愚かさ、慢心天狗、疑心暗鬼、他人や環境のせいにする間違った見方から離れることです。離欲して足ることを知ることです。
人はいくらでもいつからでも生まれ変わることができます。あの世からではありません。この世の人生の中でです。トワイスボーンといいます。人生の前後を裁断して生まれ変わることができるのです。今までは今まで。これからはこれから。そうした力が誰の魂にもあることを忘れないで生きていきましょう!
男の魂の過去世 [スピリチュアルトーク集]
そういう時は、私にとっては貴重な時間でして、男性の過去世というのは、はっきりしていて分かりやすいのです。女性としての生まれ変わりが多い魂の場合、過去世でも女性として、家事したり、子育てしたり、親の世話をしていたりと大体やっていることは似ていて、割と女性として普通に生きていることが多いのです。
そのことをそのままお伝えしますと、オーラの泉などでは武勇伝があったり特長的なことをトークされていたりするので、多少がっかりされてしまうわけです。ですから、女性のリーディングの場合、内面的なことなどを叙述的にお伝えすることが多いのですが、男性の場合はそのものずばり、こういう職業だったとか言いやすいわけです。
先日も男性がたくさんお見えになりまして、何々市場とかで活躍していたりする職業の人もいたりしました。前世では、兜着けて戦っていたりするわけです。今世は同じ戦いでも市場で戦っているわけです。同じ業種でも、西洋で馬乗ってたりして騎士として戦に行っていたりする人もいました。
魂の傾向として、こうした魂はまた生まれ変わっても何となく戦いに走っていったりするわけですが、こうした魂の傾向性の方でで苦手な部分が家庭なのです。
前世の時代では、長いこと戦に出て、家を空けるわけですが、戦に出た先でそれなりに遊んだりもします。それは生きるか死ぬかのプレッシャーの中でそうなるのかもしれません(?)が、戦から帰ってきたら今度は宴の席があったり、西洋では社交があったりで、また遊び(?)ます。と、そんなわけで、今世では戦の後には社交といいながら、お酒飲みにいったりして憂さを晴らしてくるわけです。そうこうしている内に、家庭内がやばくなってきたりします。
こんな風に男性の魂は、動きがあったり、職業を持っていたりして、割合と見やすいのです。本当にここ最近になって、女性が働く時代になってきたわけで、今では女性の方たちも私は前世でどんな職業をしていたのかしら、と思うのかもしれませんが、実際は過去世に働いている女性は少ないものです。
ですから、今世において女性の魂は、職業経験をひとつの目的として生まれてくることが多いように見受けます。ただ、よく言われているように、男性脳、女性脳といって過去世に積んできた思考経験がそれぞれ違うわけですから、あまり女性が男性的職業経験を積んでしまうと、思わぬ反作用がでてきたりしますのでご注意を・・・
話を戻せば、男性の魂で過去世に戦ってきている系の魂は、今世家庭的になれなくて困っていることが多いみたいです。先程の男性脳女性脳の話しでいえば、そうした男性こそもう少し、女性脳を働かせるようにした方が良いと思います。
簡単に言えば、男性脳は一つ事を突き詰めて他のことが同時にできないことです。女性脳は逆に家事のように同時並行型の思考ができるということです。仕事だけで頭が固くなっている男性の方たちはその辺のところを少し柔らかくしていくことが必要かと思います。がんばりましょう!
霊性を高めるために [スピリチュアルトーク集]
しかし、非日常を味わっていただきながら、最後は守護霊様のメッセージを受け止めることができた方も多々いらっしゃったので、私的に初めてにしては素晴らしいなと感じました。皆さんが真剣にスピリチュアルタイムを味わおうとされていたので、良い磁場がつくれて感謝しています。
今日は霊的に生きるコツみたいなことをやってみましたが、6月も15日、29日の日曜日2回を今日の場所で予定していますので、またそちらもよろしくお願い致します。内容は、毎回変えていきますが、初めて参加される方でも気軽にできるように、当分は初級編でやっていこうと思います。
これからは、個人カウンセリング・コーチング、電話相談、セミナーの三本柱で活動していく予定です。その中でも最も力を入れたいのがこのセミナーです。セミナーでは、本来の自分の仕事ができる感じがしています。ただ個人セッションも大変大事なことなので、そちらも頑張っていきます。
多分、このセミナーを続けて受講していかれると、いつの間にかスピリチュアルな視点が自然と身に付き、その方自身がちょっとしたスピリチュアルカウンセラーになっていかれると私は思っています。
なぜなら、私のスピリチュアルな思考というのは一貫しているからです。そして、奥が深いです。今尚、自分自身修行者として努力精進していますので、学びという点においても、どんどん積み重なっていく予定ですので、更に奥が深くなっていきますし、一番問題な点でもある部分ですが、古いスピリチュアルにならないようにしています。時事移り変わっていく時代に適用したスピリチュアルを皆さんにお届けしていきたいと思っています。
まだまだ世の中は混沌とした状況ですから、なぜそうなのか、どうしてそうなるのか、といったこともスピリチュアルトークとしてセミナーではやっていきたいと考えています。
このセミナーで私が一番のテーマにしていきたいことは、霊性を高めるためにはどうしたら良いのか、どうやったら自らの魂が進歩発展していくのか、という「魂としての自己実現」です。
自分自身が体験や経験によって裏打ちされたコンテンツを提供していきたいと思います。今後も多くの方のご参加をお待ちしております。本日は本当に感謝の一日です。ありがとうございました。
宇宙の中の地球 [スピリチュアルトーク集]
今週は隆光のホームページ作りに頭を悩ませていまして・・・何せ、Web関係にはあまり知識がないのに無謀にも経費削減で自作ホームページという選択をしたものですから、大慌てです。
まあ、何とか今週中にもアップできそうです。その中では、全国の方向けにWeb電話による電話セッションや、スピリチュアルコーチング、スピリチュアルセミナー等の開催情報などを盛り込んでいますので、こうご期待下さい。
さて、先日忙しい合間になかなかの映画を自宅で鑑賞しまして、その中で面白いことを言っていたので、その話題でも書きたいと思います。
「K-PAX 光の旅人」という映画で、もうだいぶ前のものですが、妻がこれいいよと借りてきてくれました。K-PAX星から来た宇宙人であると名乗る人物(外見は人間の肉体を借りているので普通。)と精神科医との物語なのですが、その宇宙人(?)は、地球はまだ文明的に未発達の星であるが、これからが面白い星でもあるというようなことを言うのです。
宇宙での常識では、争ったりいがみ合ったりというような感覚はなく、皆が愛と悟りで調和に満ちた心で生きているらしく、心が調和しているので、病気がないと言うのです。心が調和されていると自然治癒力が高まるので、病気は自分で治せるし医者要らずというわけです。ですからその宇宙人(?)は、地球には精神科医や医者という人物がたくさん居ることに驚きます。
ここはとても素晴らしいなと思いました。この部分は映画の中の単なる作り話ではなく、まさしくその通り、真理そのものなのです。実際、霊的にも心が調和されていると病になりませんし、念いの力で病は治ってしまいます。相当霊的真理が分かっている映画だなと思いました。
それと、以前から私は数学の発達度が宇宙での文明の差になると考えていました。そのことが、この映画でも描かれていました。ある星がなぜそのような軌道を描くのかということが地球の物理学では分からなかったのですが、宇宙人(?)は、その軌道の数式をいとも簡単に描いてしまうわけです。「何故解るのだ」と問われ、自分達の星では誰もが小さい頃に習う常識だから知っているのだというわけです。
確かに地球内の国々の発達度を見ても数学がどれだけできるかが、ひとつのバロメーターだと思います。話はずれますが、日本ではゆとり教育という愚策をしいたため、一番影響が出たのがこの数学ではないかと感じます。その悪影響が今後の日本の国力に出なければいいなとは思いますが、厳しいかもしれません。
このように地球の中での文明の発達度でも数学というものは大事なポイントなのです。その未知の数式を発見している星ほど文明は発達しているものと考えられるわけです。日本の数学者である岡潔という方は「数学の本質にあるものは、情緒、情操である」と言っていました。要は数学的な証明と仏教的な悟りとは非常に似ているわけです。
難問をずっと考え続けて、ある時パッと閃いて難問が解ける瞬間と、禅の修行である公案を瞑想している中で瞬間的に閃いて悟る瞬間は大変似ているわけです。悟りが上がると見える世界が変わります。数学もレベルアップしていくと、見えてくる世界が変わっていくのだろうと思います。(実は私は数学は苦手ですが・・・)
このように考えてゆくと、実は宇宙の中での文明の差は、その星の悟りの差ともいえるのではないか、と私は感じます。悟りの差とは、言い換えれば霊的ステージの差ともいえるわけです。
物凄い話になってしまいましたが、実際宇宙人はいると思いますし、宇宙の中の地球の立場というものは、地球の中で言うところのアメリカ合衆国のような感じだと思います。様々な宇宙からの移民が地球の中で魂修行しています。要は様々な人種や民族が自由に文明文化を形成していこうとしているアメリカ的自由な精神を、宇宙の中の地球という星はやっているのです。
地球の霊的磁場の中に、様々な星から移民してきた者同士が、如何にしたら愛と悟りの力で進歩調和していけるかを試しているわけです。壮大な話でしょ、でも素晴らしくありませんか?だから、普段考えや話がどうもかみ合わないなと思っても、そうした観点から見る寛容な気持ちが大事なのです。この地球での最大の魂課題は寛容さにあると思います。それは、以上のような理由からです。様々な考え方を持った者同士が互いに寛容に理解しあう星にしていきたいものです。
今回の映画ですが、主人公が本当に宇宙人かどうかというのは、最後まで解りません。それがまた面白い構成だなと思いましたが、見る側の「信じるか信じないか」の一点で全く内容の違う映画になるところなどは、スピリチュアルな真実というものを信じるか信じないかで全く人生が変わるのですよという、私が伝えたいことそのものだなと思いました。面白いです。映画好きの方は、是非見てみて下さい。
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地球の気持ち [スピリチュアルトーク集]
日本沈没といえば小松左京氏。昔はよく読みました。星新一さんとかカール・セーガンとかアーサーCクラークとか竹内均さんとか・・・SF大好きでしたね。
思えば、父に少し育てられていた頃?中一ぐらいでしたか、2001年宇宙の旅(スタンリーキューブリック)を見せられまして、何がなんだかわかりませんでした。しかし、悔しいので原作を読み(中一にはかなり難しい)何度も見ていたのを憶えています。
サルがモノリスに道具を持たされ人間にまで進化して、今度は更に月にモノリスを発見して・・・という感じでなのですが、大いなる力が人類の進化に関わっていて、今度は木星の衛星エウロパに生命を誕生させるというシナリオなんですが、この大いなる叡智が実は人類の進化に関わっていたという部分が何とも言えない魅力でした。
今になって考えて見ますと、サルが人に進化した部分は私的には解せないのですが、確かに生命の誕生には大いなる意思が働いているというのは賛同するところです。しかし、さすがに2001年でそこまではいかなかったですね・・・
リバイバル版「日本沈没」ですが、今なお日本沈没どころか世界沈没の危機はまだあるのだろうと思います。(急にシリアスな話ですみません)瞑想をよくやっている方はわかると思うのですが、地球には意識があります。ガイア理論的にいえば、ガイア意識といっても良いでしょう。
要はガイア意識=地球意識は先程言いましたところの大いなる叡智であり高位なる存在でもあります。人よりも高位なる存在が地球意識であるならば、その下位意識体の集合想念である人類全体の意識がエゴや排他的なる思いで満ちてきたら、どうするでしょう?映画のようにザバーとかドカーンとかやってリセットするでしょうと思われますね。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、ひとりの人間をとってみてもそのことがわかります。例えば、病は気からとよく言うけれども、そんなバカなと思っている人が、ガンになって初めてストレスやマイナスの思いとか想念が実体化して病気になるということを実感したりします。
これと同じように作用・反作用の法則はすべてに通じます。人間だってアリが家の中に入ってきてあまりにも好き勝手やりだしたらどうします?これと原理は同じです。地球意識は人間の魂がこの美しい星地球で存分に己の魂の学びや魂同士の切磋琢磨ができるように、空間プロデュースしてくれているわけです。
しかし、その恩を仇で返すような真似をすれば、いつかは愛の鞭が飛んできます。過去、アトランティスやムーや様々な文明があったようですが、なぜ今はないのか。そういうことですよね。
地球の気持ち、そんなことを普段はあまり考えないかもしれませんが、大事です。たまには、そんな愛の星地球に感謝の瞑想でもしてみると良いですよ。地球の気持ちがわかると思います。今日は日本沈没を見ていてそんなことを感じましたので、真面目にとんでもばなしをしてみました。ご参考に・・・
死後の世界 [スピリチュアルトーク集]
昨日も上の娘ととあるテーマパークに久々に親子二人水入らずの旅に出かけたのですが、電車が止まってしまいました。時は春休みですし、絶好の花見日和ですから、みんなお困りのようでした。
仮に自ら引き起こした事故だったとしても、そうとうの事情があってのことなのだろうと思います。しかし、もしそうだったとしたら、霊的には一番やってはいけないことかと思います。
当然自らも成仏できませんし、多くの人に迷惑をかけて死んでいくというのは、その分、浄化が遅れます。普通人が死んでいく場合、その死によって迷惑がかかる他人様というのは、そうはいないはずです。
しかし、電車の場合、そうとう多くの人に死に際まで迷惑をかけていくことになるわけです。それが死後の世界では結構重要なことになってしまうのです。
なぜか。死後の世界においては、その人の生前の思いや行いが量られるからです。どれだけ多くの人の役に立ち、どれだけ多くの人を幸せにしたか、この部分が一番問われる部分なのです。
逆に言えば、どれだけの人に迷惑をかけたか、どれだけの人を不幸にしたか、この部分があの世で反省させられる場合の基準になってしまいます。
死後の世界というのは、生前に思ったことや行ったことに対するエネルギー総量によって、行くべき世界が分かれてきます。どれだけ、出世したかとか、どれだけ儲けたかとかは基本的には関係のないことです。どれだけ、正しい心で生きたかが問題なのです。
自らの心から発せられた想念エネルギーが、どれだけ多くの人の役に立ったか、そして自らの心を向上させたかが、きちっと量られることになります。日々というよりも、一瞬一瞬発せられる想念エネルギーが如何なるものだったか、個人の想念帯であるアカシックレコードに刻まれていると思ってください。
その想念テープがあの世の世界で、自分だけではなく、既に亡くなっている身内やソウルメイトや守護霊たちが見に来ている中で上映されると思って見てください。どれだけの人がその事実に耐えられるか・・・。
死後の世界には、よく閻魔様がいると小さい頃に教わりましたが、まんざら嘘でもないと思っていいです。そうした役割の天使もいるということです。ですから、原因結果の法則はこの世とあの世を貫いてきちっと帳尻が合うんです。
私は今後も、こうしたことを事ある度に訴えていきたいと考えています。なぜなら、もし命を軽く考えているようでしたら、その命を絶つ前に相談してほしいからです。そんなに命がいらないならもっといろんな人たちにそのエネルギーを分け与えてほしいからです。
何かが欲しい欲しいといっていないで、もっともっと分け与えてほしいからです。自己中にならないで、利他愛に死んだと思って人生を使ってみてほしいからです。一度苦しんだ人は、素晴らしくなれる素質があります。だから、死んだと思って昔風に言えば出家したと思って、笑顔でもいいし、優しい言葉でもいいし、ボランティアでもいいですし、できることを見栄とプライドを捨ててやってみてほしいのです。
私は何も偽善ぶっているのではなく、それが実は自分の一番ためになることだから言っているのです。どこからでも人生はやり直しができるようになっているからです。要は人生とはどんな思いで生きたかのエネルギー総量で決まるものだからです。
電車に乗っていて感じることが多々ある中で、今日はそうした浮かばれていない霊人たちのレクイエムになればと思って書きました。ありがとうございました。
天使たちの仕事 [スピリチュアルトーク集]
そもそも何日か前に仕事帰りの電車の中で座っていましたら、隣で「ウー」とか「ウワー」とかマスクをかけて唸っている女性がいまして、こっちをどうも見ているんですね。凝視しているという感じでした。すると、耳元でささやく声も聞こえ始めまして、こちらは何とか無視しようとがんばっていましたが、完全に憑かれた感じになってきました。怨念です。どうもその女性の方誰かを恨んでいるんですね。
なぜか私はこういう方に好かれます。本人はこちらを見ているし、霊的にも圧し掛かってきますし、席を立ったら失礼かと思い、がんばってしまった結果、体がだんだんだるくなってきて、私の弱点である扁桃腺が痛く熱っぽくなってきました。
「やばいな。」と思いながらも我慢してしまったのが禍しまして、今日までのどの痛みがとれません。まあ、他にも一つ原因があるんですが、重なりました。と、ここまでは言い訳をさせていただきました。結局その方は同じ駅で降りたのですが、駅に着く前にがばっと立ち上がり、走って向こうへ行き、立ち止まり、くるっと私を見返し、ややニコッとしていました。「憑けてやったぞ。」という心の声が聞こえました。私はゾクッとしました。
しかし、よくよく見てみれば、その方にも守護霊はいるんですね。誰にも守護霊がいるのです。守護霊は守護天使といってもいいぐらいまともな方なんです。どんな方にも天使のような守護霊がいるわけです。
そして、文字どうり守って導いているんです。その方の場合は、まず憑依がありました。その憑依は自らの心の念波が招き寄せているものでしょう。恨みや辛みの念波が見も知らずの霊と同調してついてきているのだと思います。
そこに私は同情してしまいました。同情はまた同調につながります。やばいと思ったときには来ていました。首の後ろの辺りからすうっと入ってくる感じです。そして、耳元で話始めます。こんな感じです。
確かにその女性は風も引いていたのでしょう。同じような症状がこっちにも出てきました。その方が唸りをあげると周りの人たちも何だと思って、こちらを見てきます。それぐらい重い方でした。
そんな時、守護霊はどうしているかといえば、遠くの方で見守っています。憑依がある場合守護霊は近づけません。というか、同調できないのです。ですから、その人が心を開くまで待っていて近づくチャンスを待っているのです。光を入れるチャンスを見計らっているのです。
こういうことはよくあることです。ですから守護霊やあの世の天使たちは忙しいのです。例えば、この世における仕事でも、そうした危険や悪から生きている人を守る仕事もありますし、あの世においては、ありとあらゆる仕事があるのです。
堕胎された赤ちゃんの霊を育てるようなことを担当している天使もいます。日本だけでも年間何十万という数字がありましょう。一人っ子政策の中国ではもっとすごい数でしょう。特に共産主義の国は唯物的に人を見ますので天使にとっては困ったことでしょう。
あるいは、導きの天使もいます。死んだときにあの世のガイダンスをしてくれる霊です。多くは先祖や身内の先に亡くなった霊人がこうした導きの役になったりします。もちろんその人の守護霊もガイド役になります。ただ、身内のほうが本人が安心するのと心を開きやすいのでまず、身内の霊がコンタクトしてくるようです。
こうした時も困ったことに、天使がいくら導こうとしても、死んだ本人が聞き入れないことが最近多発しているようです。理由には、まずこの世が生き易かったため、この世の執着心が強くあの世に行きたくないという場合があります。昔ならこの世が生き難い時代性から極楽浄土というようにあの世のほうが楽だという思いがありましたが、最近はこの世が楽しいので死後の移行がスムースにいかないという現状があるのです。
また、別には死んだら終わりだと考える方が多いせいもあります。死んだら何もかも終わりだ、と生前に考えていた人も天使の言うことを聞きません。というより、まず、死んだことを認めませんし、そうした状態だと天使が見えません。この世のことばかりが見えてしまい、あの世のものが見えないのです。そして、「ここはどこだ、おかしい死んだはずなのに・・・」といった感じになるわけです。
こういう仕事以外にも、指導霊としてこの世のがんばっている人を応援してくれている天使もいますし、あの世に帰ったばかりの霊たちを指導するような指導霊もいたりします。それはもう、天使は働き尽くしなのです。しかも、無償で・・・だから天使なのです。無償の愛でもって、そうしたいからしているという無私なる思いで働いているのです。
きっと、このブログを読んでいる人の多くはあの世に帰ったらこうした天使たちと一緒になって世のため人のために働くようになるでしょう。その時はじめて本当の意味での感謝の意味がわかってくるはずです。それは、この世で生かされているという背景にはこれだけの天使の活躍があったのだと気づくからです。
ひとりの人間が生きていくのにそれだけ目には見えない方たちの支えがあり、この世を成り立たせていくには、それだけの目には見えない力とシステムが働いているんだということが今日のお話でした。是非感謝してがんばって生きていきましょう!
善悪の境目 [スピリチュアルトーク集]
霊性の教育というとシュタイナーが有名ですが、江原さんなんかもこのシュタイナーのようなアカデミックなスピリチュアルを目指しているみたいです。
ただこうした試みはなかなか世間には認められません。しかし、そろそろ認知されてもいい頃かなと思います。
実際これからは、実学と霊的な人生観の融合が教育の中には必要不可欠になってくるでしょう。
そうでないと、昨今のいじめ問題や無気力病などの根本的解決になっていかないと思います。
霊的な世界がわかってきますと、何が違ってくるかといいますと、物事の善悪の価値観が違ってきます。
よくいう、天国地獄という世界があるとしたら、その境目はどうなっているでしょう。境目において、ちょっとだけ天国ちょっとだけ地獄があるでしょうか。私の知る限りではありません。
地上と地下、海と空といった感じで完全に分かれています。要はあの世でもっては善悪の境目がはっきりしているということです。
あの世では心の状態が丸見えになります。ですから、心が調和しているか不調和かによって住む世界が変わってくるのです。
心が調和されている霊は暖かく豊かな愛に満ちた波長をかもし出しています。不調和な霊は冷たかったり、攻撃的だったり、イライラしていたり、排他的な波動になっています。
もし死んだ先にあの世があって、「あなたは天国地獄どちらの世界に帰りたいですか?」と質問されたら、まともな神経であれば天国と答えるでしょう。では、天国に帰るための考え方生き方とはどんなものなのか、といったことを教えていくことが霊性の教育です。
たとえ、弛まない努力の一時でつらいことや理不尽な環境に置かれても、自分の良心や守護霊に恥じない選択をして天国に向かう生き方をしていくことです。そのことを子供たちに伝えるだけでうかばれる子たちはたくさんいると思います。
心の中の宇宙はあの世の世界とつながっています。一瞬一瞬の善悪の選択の結果が帰るべき世界を決めていきます。自らの責任で自分の行くべき世界を選び取っているともいえるでしょう。
どうせなら、みんなで明るく暖かな世界に旅立っていきたいと思うものです。
オーラの作り方 [スピリチュアルトーク集]
しっかりとしたオーラをつくるには、よく巷でいうような、簡単なお手軽な方法ではだめで、それなりの時間が必要になります。
疲れた時とか、気の滅入るような時に深い丹田呼吸をしたり、明るい笑顔をつくったりしてパッとオーラを輝かせるようなことは、一種の対処療法であり、戦術です。
今日はそうではなく、しっかりと人生の戦略を組んで、それに向かって努力精進している内に出来上がってくるようなオーラの作り方です。
そのためのポイントは、戒めです。ストイックな生活といってもいいかもしれません。
夢や目標を持って、何かになろうと頑張って何年も修行していますと、それらしい雰囲気をかもし出してくるものです。料理人になろうと思って何年も修行していますとそんな感じになってきますし、坊主になろうと頑張って修行すればそれらしくなってきます。これは、ビジネスの世界でもそうです。
何事も自分を戒めて努力精進していると戒体という霊的オーラが出てくるのです。実は、このオーラをまとっている人は、雰囲気だけではなく、実際に仕事ができたり、人間関係のトラブルをも弾いてしまいます。
ストイックに自分のやるべきことに集中できている人は、邪気や悪霊を弾き飛ばしてしまいますから、物事が万事うまくいくのです。
よく修行するお坊さんには法力が備わってきて、様々な悪しきものを祓い除けてしまうのと同じ効果です。
そんな戒体がしっかりした方がお客様できますと、すぐわかります。独特なオーラを放っているからです。
何かひとつでもいいですから、自らに戒めを課して目標達成していくような生き方を繰り返し繰り返し行っていきますと、戒体が出来上がってきて、少々のことで自分がぐらつかなくなってきます。
スピリチュアルブームでオーラの色とかその時その時の気分によって現れる表層オーラばかりにとらわれずに、深層オーラにはそうした意味や効能もあるんだということも理解しておきましょう。
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魂の癖 [スピリチュアルトーク集]
前回、倖田来未さんを誉めていましたらいきなり問題発言して大変なことになってしまいましたね。性根はいい方だと思いますので、反省してがんばってほしいものです。
さて、人は生まれて来て段々と歳を取っていくにしたがって、魂の癖というべきものが現れてきます。
その魂の癖とは、前世からの流れの中での延長線ともいえるかもしれません。前世どう生きていたかが、今世の生き方に引き続き現れてくると考えて良いと思います。
毎日様々な方にスピリチュアルカウンセリングをしている中で、この魂の癖というものを毎回感じます。
来られる方が比較的若い方が多いので、まだ魂的には生き方が固まっているわけではありません。ですから、前世も今世も同じようなところで悩んでいたり、あるいは同じような傾向性になっていたりするものです。
よって、お客様のカウンセリングの感想が「あまり変わっていないんですね。」ということがよくあります。だからこそ、今世はこういう生き方考え方を身に付けていかなくてはいけないね、という話によくなります。
ここからが大事です。ということは、今回の人生で自分の魂の癖や傾向性をよくつかんで、伸ばすもの伸ばし、改めるべきは改めるという態度が必要になります。
それはなぜかといいますと、40、50と歳を重ねていきますと魂が、仏教的にいうところの有(う)という状態になって自我が固まってくるわけです。その固まってきた有の部分が次なる生まれ変わりの主体になっていくのです。
前世から持ち越しているところの悪い部分のカルマが今世また宿題として残っていて、またそれをクリアせずにまた持ち越してしまうと、またその部分が次なる転生を生きていくカルマとしての課題の中心となってしまいます。そうです、要は進歩していない状態になってしまうわけです。
ですから、なるだけ魂が柔軟な若いうちに自分の魂の癖を見抜き、よき方向で修正していかねばなりません。私のスピリチュアルカウンセリングの中心がそういったことへの気づきを与えることにあります。
内なる気づきをスピリチュアルメッセージとして素直に受け止め、毎転生、魂としてのイノベーションをしていけるようにしていきたいものです。この世に生まれて来るということは、それ自体がひとつの魂の学びのためであり、この世は魂の教育の場としての機能があるのです。
ポジティブに生きるということは、スピリチュアルな見方でいうならば、今度生まれ変わったらどんな人生を生きて行きたいのか、ということまで見据えて今から積極的にこの世にいるかぎり精一杯生き抜くことに他なりません。がんばっていきましょう。